大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和50年(オ)140号 判決

上告人

伊藤昌孝

上告人

庄子隆子

右両名訴訟代理人弁護士

小林勝男

被上告人

東京都

右代表者知事

美濃部亮吉

右指定代理人

林四寿男

外一名

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人小林勝男の上告理由第一点、第二点について

地方公共団体が、行政指導によつてその住民に対し予防接種法二条二項一〇号のインフルエンザの予防接種を受けることを勧奨して、希望者にこれを実施するいわゆる勧奨接種の場合においても、昭和三三年九月一七日厚生省令第二七号予防接種実施規則(以下、実施規則という。)、昭和三四年一月二一日衛発第三二号各都道府県知事あて厚生省公衆衛生局長通達「予防接種の実施方法について」及び右通達の一部を構成する「予防接種実施要領」(以下、実施要領という。)のうち、予防接種を受ける者の生命身体の安全を確保するために設けられた諸規定は、これを遵守して予防接種の実施にあたることを要するものと解すべきである。

インフルエンザ予防接種は、接種対象者の健康状態、罹患している疾病、その他身体的条件又は体質的素因により、死亡、脳炎等重大な結果をもたらす異常な副反応を起すこともあり得るから、これを実施する医師は、右のような危険を回避するため、慎重に予診を行い、かつ、当該接種対象者につき接種が必要か否かを慎重に判断し、実施規則四条所定の禁忌者を的確に識別すべき義務がある。ところで、右実施規則四条は、予診の方法として、問診、視診、体温測定、聴打診等の方法を規定しているが、予防接種を実施する医師は、右の方法すべてによつて診断することを要求されるわけではなく、とくに集団接種のときは、まず問診及び視診を行い、その結果異常を認めた場合又は接種対象者の身体的条件等に照らし必要があると判断した場合のみ、体温測定、聴打診等を行えば足りると解するのが相当である(実施要領第一の九項2号参照)。

従つて、予防接種に際しての問診の結果は、他の予診方法の要否を左右するばかりでなく、それ自体、禁忌者発見の基本的かつ重要な機能をもつものであるところ、問診は、医学的な専門知識を欠く一般人に対してされるもので、質問の趣旨が正解されなかつたり、的確な応答がされなかつたり、素人的な誤つた判断が介入して不充分な対応がされたりする危険性をももつているものであるから、予防接種を実施する医師としては、問診するにあたつて、接種対象者又はその保護者に対し、単に概括的、抽象的に接種対象者の接種直前における身体の健康状態についてその異常の有無を質問するだけでは足りず、禁忌者を識別するに足りるだけの具体的質問、すなわち実施規則四条所定の症状、疾病、体質的素因の有無およびそれらを外部的に徴表する諸事由の有無を具体的に、かつ被質問者に的確な応答を可能ならしめるような適切な質問をする義務がある。

もとより集団接種の場合には時間的、経済的制約があるから、その質問の方法は、すべて医師の口頭質問による必要はなく、質問事項を書面に記載し、接種対象者又はその保護者に事前にその回答を記入せしめておく方法(いわゆる問診票)や、質問事項又は接種前に医師に申述すべき事項を予防接種実施場所に掲記公示し、接種対象者又はその保護者に積極的に応答、申述させる方法や、医師を補助する看護婦等に質問を事前に代行させる方法等を併用し、医師の口頭による質問を事前に補助せしめる手段を講じることは許容されるが、医師の口頭による問診の適否は、質問内容、表現、用語及び併用された補助方法の手段の種類、内容、表現、用語を総合考慮して判断すべきである。このような方法による適切な問診を尽さなかつたため、接種対象者の症状、疾病その他異常な身体的条件及び体質的素因を認識することができず、禁忌すべき者の識別判断を誤つて予防接種を実施した場合において、予防接種の異常な副反応により接種対象者が死亡又は罹病したときには、担当医師は接種に際し右結果を予見しえたものであるのに過誤により予見しなかつたものと推定するのが相当である。そして当該予防接種の実施主体であり、かつ、右医師の使用者である地方公共団体は、接種対象者の死亡等の副反応が現在の医学水準からして予知することのできないものであつたこと、若しくは予防接種による死亡等の結果が発生した症例を医学情報上知りうるものであつたとしても、その結果発生の蓋然性が著しく低く、医学上、当該具体的結果の発生を否定的に予測するのが通常であること、又は当該接種対象者に対する予防接種の具体的必要性と予防接種の危険性との比較衡量上接種が相当であつたこと(実施規則四条但書)等を立証しない限り、不法行為責任を免れないものというべきである。

しかるに原判決は、予防接種の担当医師は、接種対象者又はその保護者に対し、接種対象者の接種直前における身体の異常の有無を質問すれば問診義務が尽されたとの前提のもとに、本件において、被上告人の被用者である訴外田島満利子医師は、訴外伊藤雄一に対して本件インフルエンザ予防接種を実施するにあたり問診義務を尽したとし、また、かりに問診義務違背があつたとしても、右雄一を帯同した上告人庄子隆子が右予防接種当時雄一の健康状態に異常がないと考えていたため、田島医師の問診に対し異状があると答える余地がなかつたものであるから、田島医師の問診義務違背と雄一の死亡の結果との間に因果関係がないと判断し、上告人らの本訴請求を棄却すべきものとしているが、右は本件インフルエンザ予防接種を担当実施する医師の注意義務についての解釈を誤つたものというべきであり、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨はこの点において理由があり、他の上告理由につき判断するまでもなく原判決は破棄を免れない。そして前述のような見地から、担当医師が、(一)適切な問診をしたならば、雄一について、接種当時軟便であつた事実のほか、どのような疾病、症状、身体的条件、病歴等を認識しえたか、(二)適切な問診を尽して認識しえた事実があれば、体温測定、聴打診等をすべきであつたか、(三)右体温測定、聴打診等をしたならばどのような疾病、症状、身体的条件等を認識しえたか、(四)右予診によつて認識しえた事実を前提にした場合雄一が禁忌者であると判断するのが医学上相当であつたか、についてさらに審理を尽す必要があるから、本件を原審に差し戻すこととする。

よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(藤林益三 下田武三 岸盛一 岸上康夫 団藤重光)

上告代理人小林勝男の上告理由

第一点 原判決は、医療における医師の注意義務に関し民法第七〇九条予防接種施行規則第四条に違反し、その解釈適用を誤つた違法がある。

一、(一) 原判決の引用する一審判決は、「本件で雄一につき微熱、下痢等の症状があらわれていなかつた」(この点の事実誤認の点は後述の通りである)とし、「田島医師が体温測定、視診、聴診、打診を行なつても、間質性肺炎および濾胞性大小腸炎の存在を推認しえず、予防接種をすればその結果として何らかの副作用を生ずるかも知れないことを認識しえなかつた」とし、更には「間質性肺炎は外部所見からは発見し難いから」との理由を以て過失責任を否定している。

(二) しかし予防接種施行規則第四条には、接種前に被接種者につき体温測定、問診、視診、聴打診等の方法により健康状態を調査することを義務づけているのであるのみならず、一般に医療に携わる者の行動は、相手方の生命、身体の危険に直接的につながる性質並に態様をもつものである以上極めて慎重であるべきことを要求されるのは当然であり、また本件の如き接種は、(人体に対し)本来的に毒素を注入するのであるから、その受入側の身体的状態は極めて慎重に診断されるべきである(原審までに当代理人が証人出廷を要請依頼した三名の医師がすべて同一の理論を披瀝してくれたが、不幸にして相手が東京都であり且つは厚生省、或は医師界内部問題を懸念して遂に法廷を辞退され証人尋問手続までに至れなかつた事情がある。)。

であるからこそ前記規則が存在するのでもあり、また、本件後に厚生省自らが接種に際しては規則第四条に基いて慎重な予診をすべしとの通達を発(甲第三号証の三)し、被告自体が規則を厳守し万全を期するよう示達している(乙三号証)のであり、当然のことといえる。

(三) 外見的症状が現われていないとか間質性肺炎等を推認しえないから体温測定、視診、聴診、打診を省略してもよいとの論理は、医師の注意義務を論ずる上ではまさに主客転倒の逆論理である。

外見から明瞭に看取される接種禁忌の症状があれば接種する医師はいない筈である。外見からでは接種に適応しうる健康状態が判らないことが多いからこそ慎重な予診が要求されそれを履践実行してこそ事故が防止できるのである。

幼児には言葉がない。訴える表現力も乏しい。しかし風邪ひきの状態がしばしば発生し或は継続していることは、幼児をもつた親であれば日常茶飯に体験するところであり、専門家たる医師として常識事項である。予診ということはあくまでも健康状態を知り事故を防止する目的のために奉仕する手段であるからである。

(四) ところで本件では、体温測定視診聴打診は一切行なつていない。従つて行なつていないこと自体が過失であること明白といわねばならない。

二、次に原判決は、問診も免除されるとして過失否定している。

その前提として母親は「雄一がやゝ軟便であるに拘らず異常なく元気であつたと考えており、田島医師が仮に問診しても母親は異常ありと答える余地はない」から問診義務違反との間に因果関係はないと断じているのである。

(一) しかし、規則が前述の如き規定を設けている趣旨は既述の通りであり、仮に母親が子供は元気と思つていても、それだけで異常がないとはいえないし、「異常がないと答える余地なし」とは言えない。

抽象的に「異常なし」と答えられてそれをう呑みにして医師は免責されて良い筈はない。

また医学と関係ない門外の母親たちであるから問われれば具体的に軟便であるとか少し熱つぽい感じだという答弁をするのが一般である。それらの資料を専門家たる医師が専門的に判断し始めて異常の有無を結論すべきであろう。

仮に異常なしとの観念をもつていたにしても悉く異常なしと答弁するであろうとも言い難く、むしろ医師としては、危険、異常の有無を推知しうべき事項を具体的問診すべきものといわねばならない。

本件では問診自体が行なわれていないのであるから(この点の原審の事実誤認は後記する)それ自体過失であるし、原審が仮定的に論ずる前述の判断自体も法令に違反する。

第二点 原判決は、最高裁判所の判例に違反する違法がある。

一、原判決の過失に関する判断は第一点に記述した通りであつて、安易にして最高裁判所(昭和三六年二月一六日最第一小法廷昭和三一年(裁)第一〇六五号判決)に違反する。

二、即ち右判決によれば、給血者が信頼すべき血清反応検査証等を持参した場合でも給血者に対し梅毒感染の危険の有無を推知するに足る事項を問診すべきことを宣言している。証明書の如きものはもとよりなく自宅で予め体温測定などした事実さえないのが本件の実体であるから、右判例の基本的な思想は、本件に一そうよく妥当するものというべきであつて、原判決が右趣旨に違反することは明らかである。

第三点〜第五点〈省略〉

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